暖かく深い音に涙があふれました。
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 堀 美志 2004.5.2
私がツィーグラー奏法のレッスンを初めてうけたのは、まだ学生の頃でした。その頃の私は一生懸命勉強していてもその方向がテクニック重視で、弾けば弾ほど音楽が分からなくなっていました。レッスンをうけて帰宅後、初めて藤原由紀乃さんのCDを聴いて本当に驚きました。今まさにレッスンで弾いてきた感じの音で、その音がとても美しく、音楽があまりにも生き生きとしていたからです。今まで聴いた事のない「ピアノ」にびっくりし、暖かく深い音に涙があふれました。その出会いから、12年になります。ツィーグラー奏法のレッスンでは、少しずつ少しずつ弾き方と精神のあり方を教えていただき、今では12年前には考えられないような音楽ができるようになってきました。藤原由紀乃先生と高橋知代乃先生は、このツィーグラー奏法を34年間続けてこられ、守ってこられました。その事は本当にすごいことだと思います。私が尊敬するお二人の師にめぐりあえた事は本当に幸せな事で、これからも感謝を忘れず頑張っていきたいと思います。
ツィーグラー奏法にふれて
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 鈴木美子
ツィーグラー奏法に巡り合ったのは、20代半ばだった。その頃、ピアノ演奏に行き詰まりを感じていて苦しんでいた私にとって、それによって、ようやく息を吹き返した、と言えるほどの大きな出会いだった。その後、7年間の海外生活の間も、一時帰国の折などにレッスンを受けつつ、かれこれ、20年近くになる。今では、門下生より成るベアタ・ツィーグラー協会でも古株になっていて、毎月1回の高橋知代乃先生のレッスンと、ドイツ・ミュンヘンから日本に本拠地を移された藤原由紀乃さんの特別レッスンを続けている。 ツィーグラー奏法のレッスンは、ベアタ・ツィーグラー教本から始まる。楽器店などに置いてあるのでご存知の方もいらっしゃると思うが、ミ・ファ・ソ、ミ・レ・ド、と、ひとつの音を4回づつ、先生の奏でる音を聴き、生徒が弾く。まさに、一音一音を魂の耳で聴き磨いていくレッスンだ。一般的に声楽で発声専門のレッスンがあったり、管楽器でトーンクリニックのセミナーがあったりするが、ツィーグラーのレッスンは、ピアノにおけるトーンクリニックのような意味合いがある、といえば、少しイメージいただけるだろうか。しかし、ツィーグラー奏法はそれだけでは納まらない。単なる指先だけの技術ではなく、身体全体、ひいては、ピアノを弾く時の意識までも含めた奏法なのである。“魂の耳で聴く奏法”といわれるゆえんである。ツィーグラーを学んできたこの年月は、心身一如のピアノ演奏への道を求め続け、歩んできた日々だった。
ツィーグラー奏法のレッスンは、先生の音に導かれるようにして、だんだん、自分の音も変化していく、ということに尽きる。「その音いいわよ」「だんだん柔らかくなってきましたよ」と言われるので、レッスンの度に変化はあるようなのだが、はじめは、さっぱりわからなかった。自分では、そこまで音を聴き分けられないし、言葉での説明はほとんどないので。それでも、わからないながらも、何故だか「これだ!」という直感があって、とにかく続けてきた。現在では、バリバリと難曲を弾く方向からは遠ざかってしまったが、クラシックの名曲や小品を弾いていると、心のままの音色やフレーズで、音楽と交感できたと感じることもあり、レッスンやコンサートで、生徒さんや聴きに来て下さった方々と、そんな音楽の場を共有できたと思えた時、深い喜びを感じるこができる。
「思うように弾けない」と、悩んでいた20代の頃から思い返してみると、年ごとに、ピアノや音楽に感じていた理想と現実のギャップが少なくなってきているのを感じる。「ツィーグラー奏法を習い始めた」と、音大の友人に言った時、「この歳から始めるの? 偉いね。」と、信じられないという顔で答えられたのを思い出すが、その時、ツィーグラー奏法を始めていなければ、このような、音楽とともに歩む人生はなかった、と思うと、「信じて続けてきてよかった」という思いでいっぱいになる。そして、ツィーグラーとの出会いに、感謝するばかりである。
そして、今、こうして理屈でなく身体で身につけてきたツィーグラー奏法を、あえて、自分の言葉で説明しようと考えてみると、まるで、それまでのピアノの常識と言うものがひっくり返ってしまう。「ツィーグラー奏法ってどんなもの?」と尋ねられた時には、「魂の耳で聴いて演奏する奏法と言われていて、その人本来の音でその人の心の音楽を演奏することができるんです。」と答えたりするのだが、実際にどうやるのかと言うことは、「とにかく、体験してみてください。」と言う他ない。言葉だけで説明すると、大切なものが抜け落ちてしまう気がするのだ。ツィーグラー奏法を伝えていくには、やはり、ダイレクトに伝わるレッスンしかない、と思う。
ツィーグラー奏法のレッスンを受けて10年経った頃に、人の音もある程度聞き分けられるようになり、当時の海外での音楽仲間に、見様見真似でツィーグラー奏法のレッスンをしたことがあるのだが、修行中の私のレッスンでも、「こんなに音が変わっていくなんて」「気持ちが楽になっていくわね」と、口々に驚かれた。帰国して、横浜に住み始めてしばらくした頃から、音楽響室(ツィーグラーの響きにこだわって、あえて“響”の字を使っている)をひらいて、子どもたちやおとなの方たちに教えているが、思うように弾けないと悩んでいた大人の方(アマチュア愛好家やピアノの先生たち)に、ツィーグラー奏法からのアプローチで、どんどん変化が起こっていく。その様子を目にすると、ツィーグラー奏法の素晴らしさに、改めて感嘆し、ツィーグラー奏法がもっともっと広がってほしい、という願いが強くなる。
そのためには、「由紀乃だけじゃなく、門下生であるツィーグラー協会の皆さんがいい演奏をすることが、ツィーグラー奏法を広めることにつながるのよ。」と、高橋知代乃先生がいつもおっしゃられるとおり、私たち門下生ひとりひとりの演奏によって、周りの人々に気づいてもらえたら、と思う。つい最近、コンサートで耳にした私のピアノの音にはっとした、と言ってレッスンを受けたいという方が現れて、先生のおっしゃるとおり!の現実に、一歩前に進めた気持ちがして、とてもうれしかったことだった。藤原由紀乃さんを頂点に、門下生の我々が裾野を広げて、ツィーグラー奏法を広げていくことができたら、こんなうれしいことはない。かつての私のようにピアノで苦しい思いをするのでなく、自分本来の音で、自分の芯からの音楽を奏でる心地よさをひとりでも多くの方々が味わうことができたら…、それが、ピアノを弾くことの当たりまえの姿であったなら…、と、願ってやまない。
ツィーグラー奏法を学んで
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 南部 知代 2004.5.2
私がツィーグラー奏法の勉強を始めたのは、2年前の春のことでした。弦楽器の友人がNHK衛星第2(BS2)の「ベスト・オブ・クラシック」という番組をつけると、ちょうど藤原由紀乃先生のリサイタルの模様が放映されていて、あまりに自然な音楽の流れを耳にして思わず画面に見入ったのだそうです。するとそこにテロップでピアニスト藤原由紀乃先生とツィーグラー奏法のことが紹介されていたので、ツィーグラーについて少し聞いてみようと私に電話をくれたのです。残念ながら私は楽譜売場で教本を目にしたことはありましたが、内容は全く知りませんでした。そして友人は、羽のような軽やかなタッチの弾き方で音が鳴っていたことを話してくれました。私はその言葉にとても心動かされました。なぜなら私は自分の弾き方にはまだまだ硬さがあり、そのために思うように音が出なかったり、こじんまりとした演奏になってしまうという悩みを持っていたからなのです。ピアノを弾く者にとって軽やかに弾きながら響きのある音が出せるそんな理想的なツィーグラー奏法とは一体どんなものなのか、私は早々にツィーグラー教本とその解説書を入手したのです。何かヒントになることはないかと読んでやってみたものの、やはり音のイメージがよく分かりませんでした。そこで講習会のようなものがあれば1度行ってみようかと思い、ツィーグラー協会があることまでは調べたのですが、さて自分の人生半ばも過ぎて、また新たな奏法を学ぶことになるかもしれない、、、果たしてやっていけるだろうかと正直電話をすることをためらっていました。でもこのままでは進歩はないし、友人が電話をくれたことは良いチャンスなのかもしれない、少しでもいいから良い方向へ変わりたい、、、とそんな思いがふつふつと湧き上がってきて気持ちが決まりました。思い切って協会に問い合わせをしたら、「1音1音聴いて勉強していくものなので、レッスンを受けて頂けますか?」ということですぐに始めることにしました。協会の方だと思ってお話をしたのが高橋先生だったのだと後で分かり、本当に失礼をしました。
最初の高橋先生のレッスンから1音1音を柔らかく響かせるにはどうしたらよいかというご指導で驚きの連続でした。回を重ねる毎に自分が抱えていた問題点が何だったのかが分かってきて、私自身の意識改革が必要なのだと感じるようになりました。先生が弾いてくださる音を聴き、一つ一つ丁寧に指導してくださるレッスンを受けるにつれて、少しずつ意識が変わっていくのを感じています。それまでの鼻づまり状態だった私の音が1音でも柔らかく響く音に変わった時の心地良さは本当に嬉しいものです。そしてさらに嬉しいことは響く音が出た時は手、腕がとても楽なのです。私は今電話をくれた友人に感謝し、ツィーグラーに出会えたことを本当に良かったと思っています。そして、藤原先生の演奏を聴かせて頂く度に、ツィーグラー奏法の良さと奥深さを感じ、少しずつでも変われる自分を楽しみにこれからも学んでいこうと思っているのです。
清浄なこころ(魂)に導かれて行くようでした。
日本ベアタ・ツィグラー協会会員 中林明美
藤原由紀乃先生の演奏との運命的な出会いは、私が大学の音楽学部に在学中の時でした。ピアノを教えさせて頂いている生徒さんのお母様が私を誘ってくださったのです。その時の一番心に残った曲は、シューマンのトロイメライでした。“なんてきれいな音なんだろう”ずーっとその曲を聴いていたいような、表現できないのですが、心(魂)に響いたのです。こういう弾き方をする方がいるんだと、しかも同年代で、世界のコンクールで第一位、なんてすごい人なんだと驚と動揺を隠せなかったのを覚えています。それから10年後、奇跡にもツィグラー奏法とのご縁を頂いたのです。
私は東京で生まれ育ちましたが、結婚をして新潟の柏崎に住んでおりました。声楽を志しましたが、ピアノ講師をしている時に、仕事の仲間でもある先輩(大谷美加さん)が、藤原由紀乃さんのお母様、高橋知代乃先生が柏崎に教えに来て下さると、私を誘ってくださったのです。私は声楽を専攻したのでピアノは・・・と言ったのですが、高橋先生は声楽家だとお聞きし、すがるような思いで「お願いします」とお返事したのを覚えています。そのころの私は歌をあきらめかけておりました。歌が好きで7年間音楽の学校で学んだのですが、歌うことが苦しくて力が入ってしまって音量だけを考えて歌ってしまうし、高い音は出ませんでした。これまでの自分だと納得していました。もう少し年をとれば力が抜けていいのかと思ってみたり、人前では歌わずいつもハミングで、小さい声で歌っていたのです。不安と期待のツィグラー奏法の歌のレッスン1回目でしたが、高橋先生のあの天使のような、透きとおった、柔らかな、暖かな美しい歌声は、初めて聴いた由紀乃先生のあの時の音のように、私の心(魂)に響いたのです。それから私の発声法を1から作り変えて頂くレッスンが始まったのです。私のこの力の入った体、詰まった声、ツィグラー奏法とは全く逆のこの私を高橋先生が導いて下さるのは本当に大変な事だったと思います。感謝で一杯です。
私も日常生活から少しずつ自分を見直し変えていく努力が始まりました。始めのころは常に大声を出すのをやめる事を努力しました。高橋先生のお声を聴かせて頂いてレッスンしておりますと、本当に自分の中の心(魂)の汚れた、醜いものまでも少しずつですが、清浄な心(魂)に導かれていくようでした。私自身今までにツィグラー奏法を勉強させて頂くにあたり、迷いや不安が無かったわけではありません。そんな時はいつでも由紀乃先生のコンサートでの演奏、CDを聴かせて頂き、新聞の記事、音楽雑誌の記事など、今まで生きてこられた姿勢に励まされ、高橋先生のツィグラー奏法と発声の想いにいつも感激し、今に至っております。“日本にいながら留学しているのと同じなのよ”とのお言葉に有難く、もったいなく、いつもやさしく暖かく厳しいレッスンをいただいています。新潟の私たちは、月に一度高橋先生が足を運んでレッスンに来て下さっておりますこと、由紀乃先生のコンサートも新潟県で年2回ほどありますことを本当に幸せな事と感謝を忘れず、自分自身を常に見返り、ツィグラー奏法と共に生活できます事を光栄に思っております。
今は亡きツィグラー先生、シュタドゥラー先生本当にありがとうございます。高橋先生と由紀乃先生と同じ国で同じ時代に巡り合わせて頂き弟子として勉強させて頂いておりますことを心より感謝申し上げます。これからもツィグラー奏法を志す者として恥ずかしくないよう努力精進して参りたいと思います。
ツィーグラー奏法のレッスンを受けてきて
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 石井久美子
何年か前の夏の日、ツィーグラー奏法の初めてのレッスンの時でした。ドアをあけた瞬間、聞こえてきた音に、一瞬にして心が満たされていきました。空中を浮遊しているような開放感のある響きでした。たった一つの音でこんなにも幸せな気持ちになれるものだろうか、と不思議な思いがしたものです。それは由紀乃さんの演奏会で感じる暖かさと同じでした。あの時の音に少しでも近づこうとレッスンを重ねております。いつの間にか、自分の出す音に心から惹き込まれるようになって、ピアノに触れる時間は私にとって大きな喜びとなりました。心とともに腕も開放されたように力みがなくなっていきました。やっと得たこの理想に一歩でも近づき、人生を潤って生活していきたいと思います。
ピアノの音って、こんなに暖かくてきれいな音だったの..
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 大沼直美
私がツィーグラー奏法を教えて頂くことになりましたのは、あるピアノ指導者のための講座で、初めて、ピアニストの藤原由紀乃先生の演奏とお話を拝聴したことからでした。 私は、音楽、ピアノが大好きで、子どもの頃から習っておりました。音楽科の高校、音楽大学で学ばせて頂く中、段々と練習=疲労感となり、悩んでおりました。練習の仕方が違うのだろうか。才能、素質のことなのだろうか…と、答えを見つけられずにおりました。音大を卒業して、ピアノ教師をさせて頂いておりますが、やはり、少しづつでもレッスンを続けていけたらと思っておりました。そんな中、あるピアノ指導者の団体の会報で、演奏会のお知らせに藤原由紀乃先生の演奏会とベアタ・ツィーグラー協会の連絡先があり、すぐに問合せをさせて頂きました。藤原由紀乃先生のお母様に、ツィーグラー奏法をご指導頂くことになりました。「ああ、ピアノの音って、こんなに暖かくてきれいな音だったんだ?。」と、気づかせて頂きました。音の響きから広がる世界に魅せられました。
家に帰ってからも、「一音一音を深く聴く」というご指導頂いていることを思い描いて練習していると、家族からの「音が、水面に漂っていくみたい。」との感想に、本当に嬉しくなりました。ピアノ教師の仕事で、私がレッスンをさせて頂いている生徒さんたちも「音の響き」について心から大事になさって、生徒さんのお家の方からも、「先生のピアノの先生が変わったのですか?」と、私は何も申し上げていないのにも関わらず、尋ねられることもあって、驚きました。「一音一音の音の響きを魂の耳で聴く」ということを教えて頂き、開眼させて頂いたツィーグラー奏法、藤原由紀乃先生、高橋知代乃先生に感謝申し上げるばかりです。どうもありがとうございます。御蔭様で自然にピアノに向かえることが出来て幸せです。ツィーグラー奏法のレッスンをお受けになっておられる他のお弟子さんからも、「こんなに素晴らしい奏法を教えて頂けるのは、世界中探しても、唯一、こちらだけですよ。夢だった曲が現実になっていきますよ。」と、お励ましのお言葉も頂きました。未熟な私も、これから安心してご指導賜りますよう、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
ずっと求め続けてきたとても大切なものを
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 滝沢久美
私とベアタ・ツィーグラーの「魂の耳で聴く奏法」との出会いは、今から五、六年前でしょうか。同じ楽器店に所属している同僚のピアノ講師に、「素晴しい先生がいらっしゃるので、是非レッスンを受けてみては。」と、声をかけていただいたのが始まりでした。大学を卒業して、しばらくはその大学の教授に師事していたのですが、いつの間にか先細りで・・・。でも「声楽の勉強を、また始めたい。」と思っていたところへのお誘いでしたので、私は喜んでレッスンを受けることにしました。今から思うと恥ずかしいのですが、レッスンを受けるにあたって、ほとんどベアタ・ツィーグラーについての知識がありませんでした。何も知らずにレッスンを私でしたが、高橋知代乃先生のその素晴しい声、発声法に触た瞬間に、もうその初めてのレッスンで、私自身現在に至るまで、ずっと求め続けてきたとても大切なものを、感じさせていただきました。あれから、もう五、六年の月日が経ちますが、レッスン一回、一回のあとに、いつも心に温かい満足感を味わっています。それはいったい何なのか?それは知代乃先生の声、発声法を通して「魂の耳で聴く」ことの素晴しさを、直接触れることが出来る喜びだと思います。これからも、この喜びをレッスンで感じると同時に、少しでも知代乃先生のご指導下さることを身につけて、心の(魂の)歌を歌い続けていきたいと思います。知代乃先生、そして由紀乃先生、いままで「魂の耳で聴く奏法」に接しさせていただいて、ありがとうございます。そしてこれからも、よろしくお願い申し上げます。
ツィーグラー奏法と出会って
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 田中恵子
もう何年も前の事ですが、自宅のピアノ教室の生徒達に音を大切にする心を伝えたいと模索していて、「ツィーグラー教本」と出会いました。たった一音を聴く事から始めるその奏法は、私の眼を開かせて下さる事ばかりでした。 初めてレッスンを受けさせて頂いた時、先生が弾いて下さった単音がとても清らかでやわらかく、スーッと心に入って参りました。はじめのうちは、その単音ですら弾く事が出来ませんでした。うまくいかない思いをかかえながらも家でレッスンの時の音を思い出そうと耳を傾けながら実感したのです。弦楽器や管楽器を学ぶ方が最初の頃、音にならない音と向かい合って練習を重ねる事により美しい響きとなっていく様に、ピアノもそうあるべきだと思いました。
学びを深めるにつれ、一音一音に耳を傾けゆっくり弾いていく中に、何とも言えない美しさと安らぎを感じる様になって来たのです。また、そうして弾いていくうちに、自然と音楽が私を導いて下さっている事が感じられる様になりました。音楽に寄り添うというのでしょうか。その悦びというのは、これまでどんなに曲を弾き込んでも味わう事の無かった、深く有難い思いでした。私は今まで何て自分自身の思いが強かったのでしょう。音楽に寄り添うどころか、曲に立ち向かっていく様な思いを常に抱えていたと思います。そこから生まれる満足感というものは、曲の上辺の美しさや格好良さを味わう事や、難しい所を克服出来た事への満足にすぎず、その作品の奥にある真に素晴らしく尊い世界には辿り着くはずもない浅はかなものでした。由紀乃先生や、知代乃先生のレッスンを通し、これまで自分自身の中にあったこの高慢な思いが音楽と私との間に溝を作っていた事に気付かされ、同時に大変散漫な心で音楽に向かっていた事も反省致しました。
まだまだ勉強の足りない私ですが、このごろはピアノの音ってこんなにも美しいものだったのかと感じております。音に心を委ねながら弾いていくうちに広がっていく世界は、本当に豊かで美しいです。これは、ツィーグラーを学ばなかったら味わう事が出来なかったかもしれません。一年目、二年目より三年目、そしてさらに四年目と、こんなに悦びが増していく学びは、そう無いのではないかと思う程です。それはきっと魂で味わう悦びだからだと思います。
私にとって由紀乃先生の弾かれるバッハは、心の中の迷いや色々な思いを全て浄めて下さり、立ち返るところをしっかりと示して下さる様な、そんなバッハです。神様が、ありのままでいなさい、それでいいのだと伝えて下さっている様なそんな導きを感じ、涙が出ます。ツィーグラーのお陰で私はこんなにも心が柔らかくなれ、音楽と寄り添う事による真の悦びを感じられる様になりました。出会えた事に感謝し、ずっと学んでいきたいと思うと同時に、この素晴らしい奏法をお伝えしていく事が出来たらと願っております。
ひとつの音からやるのだ。
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 大高夕貴 2004.7.22
ツィーグラー奏法との出会いは、まさに運命としか言いようがありません。初めて聴いた藤原由紀乃さんのコンサートで、柔らかく深いフォルテの音に感動し、「このような方に是非、習いたい。」と思っていた時、ちょうど知合いの方からお母様である高橋知代乃先生が日本で教えていらっしゃるとお聞きし、早速お電話をしました。レッスンの初日、ピアノの前に座った私に、高橋先生は「右手でミの音を弾いて。」とおしゃり、お手本の音を弾いて下さいました。先生の弾いて下さる音は、今迄聴いたことのない柔らかくて、美しい音でした。「こんなに美しい音があるのか!」そして、「ひとつ、ひとつの音の響きを魂(心)の耳で聴きながら、ひとつの音からやるのだ。」と内心驚きながらも、先生の音に近づこうと一心に「ミ」の音を聴き続けました。「そう、その音よ。」と先生がおっしゃて下さった時の喜びは今でも忘れられません。音(響き)が全身を通り、空の彼方まで上がっていくようでした。「手が小さいから、この曲は無理」、「これは一生弾けないだろう」と自分であきらめていた曲が、ツィーグラー奏法に出会ってから、「これも弾ける」、「これもきっと弾けるようになる」と変わっていきました。それまで頭の上にあった天井が一気に取れたような感じでした。ツィーグラー奏法を学ぶことは、とても厳しい事だと感じています。何故なら、自分の心が直ぐに音に出てしまうからです。でも、どんなに厳しくても、最初のレッスンの日のあの喜びを想うと、また向かい合うことができます。「一生ピアノを弾いていきたい」ツィーグラーが私のそばにある限り、この夢は叶えられると信じています。
この歌はなぜ美しいのか
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 田中良知 2004.8.7
高橋知代乃先生に歌を教えて頂いて2年が経ちました。既に家内が私に先んじて高橋先生、藤原先生にお世話になっておりましたから、この奏法の素晴らしさは感じておりましたが、そのことは、当初自らの学習とは遠いものと考えておりました。 声楽については、大学で音楽を学びながらも興味をもてず、むしろ、「美しい曲がなぜこのように重く分かりにくくなってしまうのか」と思うこともしばしばで、少し苦手な音楽と感じていました。しかし、ある機会に聴かせて頂いた高橋先生の歌は、今まで抱いていた声楽のイメージとはおよそ違い、ことばがとても美しく、音楽そのものが何も介さず心に深く浸透していく感動的なものでした。(この、今までと違う初めて触れた音楽の感覚は、藤原由紀乃さんのピアノ演奏を最初に聴いた時にも起きたものでした。)
「この歌はなぜ美しいのか」自分が歌下手であることも顧みず、また、音楽好きの歌嫌いに決別すべく、教えを請うたのが2年前でした。出来の悪い生徒であるにもかかわらず、丁寧にやさしく美しい歌い方のレッスンを授けて下さり、自分の本当の声に出会っていくような、自然な発声が少しずつ身についていく楽しみを感じています。
この期間に学んだものは、もちろんまだ学びの端緒についたばかりではありますが、とても貴重なものであり、自分が求めていた音楽の喜びを知る道に出会えたと感じています。幸い、小さなものではありますが、学校のクラブ活動として合唱を指導する機会にも恵まれ、この歌のすばらしさを、生徒と、またいつも演奏を楽しみに聴いて下さる皆様と共にしています。 これからも自己の研鑽を積んでいきたいと思うのと同時に、またツィーグラーの奏法が多くの方々に広められ、皆様のすばらしい音楽との出会いの契機となっていかれるよう願っております。
ずっと温め続けたいもの
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 浜崎こころ
「魂の耳で聴くベアタ・ツィーグラーの自然なピアノ奏法」に初めて出会った時、とても神秘的な感覚が心に残りました。高橋知代乃先生に教えていただきながらはじめの一音を聴いた時、光が心の中にさしてくるような気がしました。心のどこかに置き去りにしてきたものが甦ったようでした。今まで一生懸命にピアノを続けてきたつもりですが、何か大切なことが見えていないという思いが心のどこかにありました。しかし、今ここでツィーグラーの奏法に出会い、これが真の音楽であることを感じ、感謝と喜びで一杯になりました。藤原由紀乃先生の演奏を初めて聴かせていただいた時、「どうしてこんなに自然でやさしく、深いのだう・・・」と思いました。人間を超えた何か大きな力が働いているようでした。一音一音が光に満ちていて、その姿は祈りそのものでした。それから何度かツィーグラーの奏法のレッスンを受ける機会に恵まれました。レッスンを受けるたびに、なんて奥深いのだろう・・・、と思いました。曲を仕上げることに追われていた今までの私が恥ずかしいような気がしました。音楽大学はウィーンに留学し、そこではそれなりにすばらしいことを学ぶことができましたが、私が心の底から求めていたものはありませんでした。また、時が経っても心のどこかで、魂の耳で聴く奏法のことがずっと残っていました。そこで、またツィーグラーの奏法を深めてみたいと思いました。それから私はウィーンからミュンヘン在住の由紀乃先生のところへ毎月通い、「ベアタ・ツィーグラーの魂の耳で奏でる自然なピアノ奏法」のレッスンをしていただきました。本当に温かく、真心が込められたレッスンをいただけたことに心から感謝しています。帰国してからも、由紀乃先生にツィーグラーの奏法を教えていただいておりますが、学ぶほど限りなく奥が深いものであることに気付かされました。レッスンでは、一音一音の中、そしてその曲の中に存在する真実を、外側からではなく内側から創りあげていくこと、また真実のものを積み重ねていく喜びを教えていただいたような気がします。
今思えば由紀乃先生が、2003年11月に「ショパンの夕べ」を、天草のサンタ・マリア館で演奏して下さるとは夢にも思いませんでした。リサイタルにはたくさんの人に聴きに来ていただき、由紀乃先生をぐるっと囲むようにして、身近に演奏を聴かせていただけたことは、私達にとってかけがえのない恵まれた機会でした。一人一人の心の奥に触れてくださるような慈悲深さと、また聴いている人の心を一つに包み込むような限りなく大きな愛の力を感じました。それは言葉では言い表すことが出来ない感動でした。音楽と普段は縁遠い方も、由紀乃先生の演奏に心から感動されていたようです。そして何よりも、天草の地で尊い命をなくされた多くの「かくれキリシタン」の方々の魂が、由紀乃先生の奏でられる清らかな音で癒されていくような気がしました。
由紀乃先生の演奏を聴かせていただいている時、永遠の生命の流れの中で、大宇宙の限りない慈愛によって生かされていることを感じさせられます。これからも由紀乃先生の真心の演奏を通して、多くの方々の魂が光で満たされていくことでしょう。ツィーグラーの奏法は、一生かけて温め続けることができる、私にとってかけがえのないものとなりました。これからもずっと、少しずつ深めさせていただければ幸いです。
いつもそこにあった世界。聴く、ただそれだけ。
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 岩谷礼子(2004.8.3)
はじめて「藤原由紀乃」さんの名前をきいたのは夜のNHKのニュースでした。「ロン・ティボー国際ピアノ・コンクールで日本人がグランプリ受賞」。それから、いろいろの雑誌でインタビューや文章を目にしました。その中で印象に残ったのが「ツィーグラー奏法」という言葉です。「例えば、すてきな小鳥を見つけて、あ!みてみて!と体をそちらに向け、指をさす、というように、まず音楽のイメージがあって、体はそれについていく」とのこと。そんなピアノの奏法になにか心惹かれるものがありました。しばらくして、そのころの自分の悩みが明確になってきました。音大にいって、専門的に音楽の勉強をしよう、と思ってはいましたが、いつも2つの事を考えるようになりました。
1. 感動する音楽と、そうでもない音楽があるように思うんだけれど、何がちがうの?どうしたら感動する音楽に近づけるの?
2. たくさんの努力と、時間と、お金を使って音楽を勉強しても、それを生かす場があるのだろうか?
この2つが頭をぐるぐる回っていて、正直、受験勉強どころではありません。そして、どうもなんとなく、由紀乃さんの文章を読んでいると、この2つはクリアされていらっしゃるように感じたのです。特に、1については、なんだか「ツィーグラー奏法」で、聴く人の心を感動させることが出来るみたい。なんとか「ツィーグラー奏法」にふれるチャンスはないのかなあ・・、と日々を送っていたところ、たまたま、日本ベアタ・ツィーグラー協会へ「由紀乃さんのコンサートチケットがほしいのですが」と問い合わせたついでに、日本ベアタ・ツィーグラー協会は何をしているところですか?とたずねると、ツィーグラー奏法を勉強しているところ、とのご返事。私も勉強させてください、と申し込みました。ていねいに指導してくださる高橋知代乃先生、藤原由紀乃先生。手取り足取り、音楽を聴くということ、音楽の流れや歌、そして音楽に対しての心がまえ。練習することが、ほんとうに楽しくなりました。そして同時に練習をとても厳しく感じました。自分では努力しているつもりが、なかなか思うようにいかず・・・また早くうまくなりたい、きれいな音で弾きたいと、気持ちばかりが先走ることもよくあり、そういう時は、どうも本質をはずしているらしく、いくら練習しても、何かうまくいかない・・・ そんな紆余曲折があったり、素晴らしい“本物の響”との出会いがあったりしました。時は流れて、ある日、ピアノを教えている生徒さんたち用にソルフェージュの視唱教材(パリ音楽院ソルフェージュ科の先生、ノエル・ギャロン作曲)を、家でも練習できるように、からおけテープをつくっていました。まず、歌パートをピアノで弾き録音、次に伴奏を弾き録音。何曲かすすんで、ある曲の歌パートを録音中に、あ?音がみえる!えっ!えっ!と感じたのです。先生方はいつもいつも「よく一音一音を心を澄まして(心の耳で)聴く」とご指導くださいました。ほんのわずかではありますが、その事にふれた瞬間だったのかな?と思います。今までだって、いつもそこにあった世界。聴く、ただそれだけ。 一生懸命、音を聴くと、作曲家の心の声をすこし感じられたり、楽器の性格を少し察することができたり。(それは、もちろん!時々、です。しょっちゅう、わからなくなります!!)そして、今、思うと、ただ生徒さんたちに音楽を味わってもらいたいな、の気持ちと、歌パートを弾いていた、という条件が良かったのかしら…と思いますが…。そんなことが楽しく、喜びで勉強させていただいております。
もったいないほどの豊かな気持ちです。
日本ベアタ.ツィーグラー協会会員 塩野谷みちる(2004.9.3)
私の場合は、子供の頃10年ほどピアノを習っていたのですが、結局、絵画の方へ進み、好きなように弾くだけになり、絵のかたわらフォークソング、ポピュ ラーピアノを楽しんでいました。それが、かなりの年月もたってから、ピアノの補修をして新品の様になったとき、長年そばにいたピアノに愛着が湧き今まで のひどい扱いを悔やみました。
もう一度いい先生について出来たらと思っていた所、ツィーグラー奏法のあることを友人から聞き、図書館のテープで藤原由紀乃先生のその初めての音に、不 思議な感慨を持ったことを思い出します。そして、なんと自宅近くに先生がお住まいになっていらっしゃったのです。でも、まさかこのように初歩程度の私が、習うことなど無理だろうと思っていたのですが、ここから今までのピアノに対する考えがまるで違うということが、わかったのです。ピアノのテクニック等でしたら、私はどうしたって他の方たちにはかないません。ところが、一緒にやっていけるのです。なぜかというと、音を聴くということに於いては、皆同じだからです。上下がないのです。世界的ピアニストの藤原先生も私たちと同じ目線にたってくださって、普通では信じられないことだと思いました。
弾くことより聴くこと、音の響きを自分の心で感じること。だから一人一人の美しい音がでるようです。私はまだまだ、二年目に入ってもそのあまりの奥さに、時には気落ちしたりしています。しかし、このごろ私の愛猫(18歳)が認めてくれ始めたらしいのです。以前は私が弾くとさっさといなくなってしまう のでしたが、今ではじっと聴いてくれるので、嬉しくて、いつまで弾いていたらいいのか迷ってしまいます。変な音を出してしまった時は、思わず目が合って吹き 出しそうになってしまいました。宮沢賢治の童話に「セロひきのゴーシュ」というお話があり、動物たちがゴーシュの弾くチェロの響きで病気を治してもらったり、又ゴーシュも動物たちから音楽のすばらしさを教えてもらうのですが、それを思い起こしました。そして、またツィーグラー奏法のすばらしさに気付きます。
もうひとつ最近気付きました。それは、モーツァルトの幼年期に作曲された曲ですが、だいぶ前、買った時に弾いてみたらなんだかおもしろくなく、そのまま になっていたのですが、ふと思い出しゆっくり弾いてみたところ、なんと!美しい曲ばかりだったのでしょう!まだ、本当に弾けてなくても、こうですから。 こころの底から心酔いたしました。さすが、モーツァルトですが、やっぱり「さすが、ツィーグラー!」です。もう、難しい曲を弾くより、やさしい曲を優し く弾ける方がいいかなと考えたりしています。こんな遅々とした私にも、高橋先生はいつもあたたかい言葉をかけてくださいますので、大変有り難く、続けてゆけるのです。すばらしいお二人の先生に後半生に巡り会えた幸運と、続けていくことの出来る立場の自分自身の幸運を、闘病中も黙って見守ってくれて、この春亡くなって しまった父に感謝したい気持ちでいっぱいです。
あなたの手は、世界でたった一つの楽器です。
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 畠山珠美 (2004.9.13)
このような文を書く機会を与えて下さってありがとうございます。ツィーグラーに出会えたことがいかに恵みだったかを語るには、それまでがどんなだったか?抜きでは語れないような気がしました。ですから、”出会う前”が少し長くなってしまいそうですが、おゆるし下さい。
私は、幼い頃からピアノの音が好きだったようです。ピアノの音は、キラキラ輝く星のようであったり、さらさら流れる川のようであり、また大好きなキャンディを食べたような感じでした。近所のお姉さんが、ソナチネや、乙女の祈りを弾いているのを、よく、外にたってじっと聴いていたことがありました。このようにピアノの音は、幼い私にとって心地よいもだったのです。そのような私に母は、ピアノを習わせてくれました。母自身、音楽が好きで、ピアノにあこがれていて、娘にやらせたかったようでもありました。始めのレッスンは嬉しくて仕方がありませんでした。
ところが、私は子供の時からのみこみが遅く、先生に言われたことがすぐに理解出来なかったり、不器用だったので、なかなか弾けるようになりませんでした。それでも、乙女の祈りや、モーツァルトのトルコ行進曲などが弾きたくてたまらなかったのでした。ピアノに対するあこがれはずっと持ち続けました。そしてブルグミュラーやソナチネをやるころは、ピアノの曲がもっと好きになって、将来は、「ピアノを弾く人になれたらいいな」と思うまでになりました。それが、小学校3年から5年生まででした。そのような私を、両親は、音楽科のある中学、高校へ入れてくれました。中学に入るとクラスでは、自分より難しい曲を弾ける子がたくさんいました。中一で、ショパンの幻想即興曲などを弾いてしまう子もいました。私にとってはカルチャーショックものでした。私といえば、ツェルニー30番あたりから、新しいテクニック一つ一つが壁のようになって来ていました。楽に弾けないのです。音の連打、オクターブ、あと指が速く動かないのでした。どうにか40番は終わりましたが、自分のテクニックはそのようなレベルではないと感じていました。とにかく硬くて、手が自由に動かないのです。皆みたいに、上手になりたい!けれどもどうしたら解決できるのかまったくわかりませんでした。まわりの同級性がどんどん上達するのに比べ、私はちっとも前に進めず、次第に意欲を失いました。あんなにキラキラしていたピアノの音は、すっかり輝やきを失い、何だかピアノは、私に、白い牙をむいているか、重たいコンクリートのようになってしまいました。ピアノの先生にも、”あなたの手はピアノ向きではない”と言われてしまい、私は中3で、すでにピアノで生きることをあきらめざるえませんでした。
その頃、学校の成績も、小学校までは何とか出来ていたのですが、中学に入ってから、ピアノと同じように、成績はどんどんさがり、学科も苦痛になった状態でした。”私は何をやってもダメだ””私には何も取り得がない”と次第に劣等感に陥り、自分は価値のない人間だと思うまでになってしまいました。その劣等感や達成できなかったという気持ちは今でも尾をひいて、時々私を苦しめます。それでも、音楽はまだ私にとって輝やきをうしなっていませんでした。ポールモーリヤのオーケストラや楽器のアレンジの素晴らしさに感動したり、自分はうまく弾けないけど、イメージは、たくさん持っているということにも気付き、作曲や編曲に興味をもちはじめ、音大の作曲科を卒業することができました。在学中も、やはりピアノを弾くのが好きで、ヴァイオリンや、フルートなどの伴奏を、やらせてもらったりもしました。ソロより伴奏のほうが興味深いなとまで思いました。卒業後も、少しながら音楽に携わることが出来、教会のミサ、礼拝のためのピアノ、オルガンを弾く仕事まで与えられました!たとえショパンやリストが弾けなくても、私でも十分に役にたてます。もともとピアノを弾くのは好きでしたのでこの仕事が来た事がうれくてしかたがありませんでした。聖歌隊の伴奏するのも楽しくて仕方がありませんし、教会の皆も、私が弾くのをとても喜んでくれています。たとえピアノ向きでないと言われても、自分さえあきらめなければ、どこかで、ピアノで生きることが出来るのだと。そしてあきらめないで良かったとおもいました。
それでも、好きなのにやはり、私は自由に弾けない。持っているイメージとは裏腹に、私の音は硬い。まだ血がかよっていない。とずっと思い続けていました。音楽雑誌に出ている、ピアノのいろいろなセミナーに参加してみたり、ピアノのテクニックの本を読んでみたりもしましたが、どれも、扉はひらかれませんでした。”私に合ったピアノの先生に出会わせて下さい!”と私は祈っていました。
そんな時、2001年のムジカノーヴアだったでしょうか?ツィーグラーの記事に出会いました。こまかく内容は覚えていませんが、藤原由紀乃先生が書かれていた内容と、「魂の耳で聴く」という言葉にものすごく魅かれ、レッスンを受けられたらなー。と思って、思い切って電話したのが、出会いでした!
最初のレッスンの時に、高橋先生は私の手をやさしくとって鍵盤に乗せてくださって初めて”ミ”の音がなったとき、その一音から、ちょっとくすんだピンクの色と、お香のかおりがただよったような感じがしたのでした。一音にそれぞれ、意味がある!生きている!とびっくりしました。今までと全然違う!ピアノの音がこんなに優しいことを忘れていました。ピアノのレッスンなのに、なんだか、黙想会(教会での祈りの会)に出たみたいでした。さらに先生はおっしゃいました。”あなたの手は、世界でたった一つの楽器なのよ!あなただけの素晴らしい音があるのよ!!”と。これが、私にとって魔法の言葉となりました。手が小さくて、不器用で硬い私の手はたった一つの楽器なのです。この言葉を聞いて、今までの劣等感、自分は無価値だと思っていたものの、半分以上は消えました。このメソードについて行けば、必ず自分の音を捜し出せると思いました。もうこれしかない!と思いました。
いまでは、他のピアノのテクニックに関するセミナーも本も、私には必要がなくなりました。小さい時から、ピアノの音にあこがれ、でも挫折して、それでも諦めきれないで、どうすれば生きた音になれるかずっと探しもとめていましたが、そこに至る道をみつけたのです。聖書の言葉に”求めなさい。そうすれば与えられます”という言葉がありますが、神様は私のその長い探し求めに答えて下さったのでしょう。
出会ってからも、いろいろな発見、出会いがありましたが、それを今書くととても長くなるので、また、機会があったら書かせてください。このような事を書くのは私にとって恵みになったと思います。まだ私の中に残っている”みじめ”に思っていた幼い私も、暖かい光りに照らされて、きっと慰められて行くことでしょう。ありがとうございました。
ベアタ・ツイーグラー奏法との出会いと思い
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 森澤陽子(2004.10.3)
この小さな原稿を書くことの勧めを高橋先生から頂きながら、忙しさもありましたが、なかなか手が付けられずに一月あまりが過ぎていきました。しかし、書くことにより、自分と切っても切り離せないピアノについて、もう一度内省を深め、言葉にして確認することが、今ここで他の誰のためにでもなく、自分にとって大切であることを、日を追って強く感じるようになり、出来るだけ正直な気持ちで書かせて頂きます。
私は長い年月、ピアノを弾いたり教えたりしていた時期も含めて、ピアノを演奏することが自分の深い内面的な欲求や生き方と深く関りがあると考えたことはありませんでした。音楽大学のピアノ科を卒業し、少なからず練習に励んでいた若い時期にも、その事がいかに自分が人間的に成長していくことと密接に関っているか、などという問いを発し続けること事体に蓋をして過ごしていたのです。
その後、ピアノから学び得たものを大切に検証することもないままに、それまでの自身の稚拙なピアノ人生では得られなかった人との交流から生まれる感性の交換や調和といったものへの憧れや手応えを無意識に探し求めた行為の現れとして、私は新たに大学、大学院で学ぶことに自分の人生を意図的に転回しました。私の選んだ科目は、精神障害を抱えながら生きている人々との感動的な出会いとその後の継続的な関りに基づき、精神障害者のソーシャルワークの分野でした。
その出会いや、お世話をさせて頂いた関りは、神様に与えられた有り難いものとの直感があって、心を動かされてのことでした。修士論文では、そのような人との関りにおいて、どのような視点を主眼に置き、援助をしていくかというテーマで研究し、実践の場にフィード・バックをしていくなかで、一つの信念に近い実感を得たのです。それは個々の人々が各々に持つ潜在的な可能性を見極め、引き出し、育てる支援の視点と技術の重要性についてです。さらにその可能性はどこかから探して出してくるものではなく、その人の中にすでにある何かに着目し、外に向かって、つまり社会と有効に機能するように結びつけていく作業の積み重ねであることにも気づかされたのです。
ここに至り、私自身がかつて取り組み、課題であったピアノが再び私の目の前に命題として大きく現れたのです。支援者や専門職であるならば、自らが自身にこの視点を向けなければ、絵空事を他人に求めてしまうことになるということへの気づきです。この視点に勇気づけられ、ピアノに向かってみると、今度はピアノの方が私に親しく寄り添って何かを語りかけ、問いを発しているようでした。「どう弾きたいの、あなたは?」という問いかけです。私は練習を再開しました。そして、練習の成果を外に出すことで検証したく思い、とある町での小さなコンクールを受け、それでも下位ながら入賞しました。今度は入賞者の演奏会があるとの知らせを受け、暫く懸命に練習しておりましたが、これまでの私の未熟な奏法では、もう乗り越えられないという壁に突き当たったのです。つまり、心(脳)と身体と、弾く技術が統合出来ず、やみくもにさらうだけではもう弾けないのではないかという恐れが、自分を支配するのです。その一方で弾くことで何かを伝えたい自分がいることも、もどかしく感じていました。
その日私は朝の片付けを終え、静かな気持ちになるようロザリオでマリア様に祈っていました。今の自分の欲求や悩みに振り回されるのではなく、私に必要な何かをお与え下さいと願いました。祈りのあと、仕事が休みの今日は日本人の女性の演奏会に行こうと何となく決め、インターネットで検索して藤原由紀乃さんの演奏会があることを知り、文化会館の小ホールに出かけました。そして、“魂の耳で聴く奏法”に出会ったのです。大げさな誇示や強調からは対極にある自然さで、心と身体が見事に統合されていると感じさせる由紀乃さんのお弾きになる姿と、精神的な深さを感じさせる響きに、私は深い感銘を受けたのです。そして、自分が何かここで神様の導きを頂いているような、そんな感触を頂きました。今、月に一度、高橋先生のレッスンを受けさせて頂いております。まだ日も浅く未熟な理解なのですが、音そのものが放つ言霊のようなものへと耳を開いていくことを少しずつ体感し、それはまた演奏においては、音とそれが放たれる空間に漂う空気と自らの呼吸に全身を謙虚に委ねつつ、耳を研ぎ澄ましていく中で、曲の解釈を探っていくことへと、私を導いて下さっているようです。これからの生涯、どのようにピアノと共に歩んでいくのか、その道が一筋、照らし出されたような気持ちでおります。私の中で、ピアノも、他者との交わりから始まるソーシャルワークも、今や分離したものとしての存在ではなくなりつつあります。自身の統合と社会との調和を目指し、音楽における学びを続けていくにあたり、ベアタ・ツイ?グラー奏法に出会わせて頂いたことに、深く感謝をしております。これまでの生涯を一筋にアンナ・シュタードラー先生の基で研鑚を積んで来られた藤原由紀乃先生への尊敬の念と、それを支えてこられたであろう高橋先生への深い敬愛をここに表わしたいと思います。この出会いと学びが、やがて神様のご計画の役に立つ事を願って真摯に励んでいきたいと思います。
旅の仲間にめぐり逢えて
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 松本初枝 (2005.1.5)
私は何時も心の中で美しい音楽が聴こえ感じていました。ずっとずっと遠い昔、もしかしたら私自身が生まれる以前からの優しく、あたたかい愛の子守歌の様に感じられ、深く深く癒しの光につつまれていくのです。不器用な私はそれを表現する術もみつけられず、あるひ偶然かけたテレビの中で、その響きと同じ波動を感じたのが藤原由紀乃先生の「ラ・カンパネラ」でした。その後、ツィーグラー奏法のことを知り、学ばせていただき、約一年になります。今までずっと求めていた世界と、再び旅の仲間にめぐり逢えた様な喜びと感動に感謝しつつ、私自身幼児にもどり一音一音を愛の光に変えられる様、学ばせていただきたいと思います。これからは尊敬する高橋知代乃先生にツィーグラー奏法による美しい魂の歌も初歩からご指導いただけたら幸いです。全ての時とめぐり逢う魂に感謝いたします。
雪解の水も豊かに流れ、春の喜びを待つ
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 畠山 珠美(2005.2.28)
今日もレッスンありがとうございました。清い流れの曲は、今の私の心境にとても近いのです。それは、春の喜びを待つ心です。私自身、内面的にはまだ解放されていなく、凍っている面すらありますが、少なくとも自然の中の季節の移り変わりで、春が来るのはどんなかを知っています。空や花が和やかな顔になるし、陽の光も明るくなるし、雪解けの水も豊かに流れます。清い流れの曲にはそのような喜びと優しさがあふれているように思います。だから、私はこの曲の中いたいのです。そして、本当に私の心に、長かった冬から春が来たらどんなに嬉しいでしょう!その喜びをピアノで表せたらどんなに嬉しいでしょう!だからこの曲を早く終わらせたいとは思いません。高橋先生は、私の実の母ではないのに、本当にお母さんみたいですね。今年始めのレッスンでは、私が忍耐強く取り組んだご褒美とおっしゃって差し出すようなジェスチャーして下さいました。反応の鈍い私は、あわてて、受け取りました。と言ったのを覚えています。また、私の苛立ち丸出しのメールにもありがとうと言って下さいました。先生はお母さんみたいです。ツィーグラー会員皆さんのお母さんかも知れません。前回のレッスンの時に私の次の人とともに、先生の生い立ちを話して下さいました。戦後引き上げで大変だったことなどでした。(私の両親と同年代かも知れないですね。父も台湾からの引き上げ者です)でも、先生からはそのような跡は見えないのです。本当に先生は明るい穏やかな感じです。どうしたらそうなれますか。私も自分なりにはたくさん辛い経験しましたが、その分優しくなれたらよいです。下手すると、辛い経験は心をささくれさせてしまいますので。おかげさまで、一つ山は越えられたようです。これからは本当に信じる心で春を迎えたいです。またよろしくお願いいたします。
今晩は! 歌のレッスンも始めたいと、申しましたが、だいぶ本気になって来ました。ただ心配があるのです。私は喉が弱いのです。痛く成りやすいですし、風邪もひきやすいです。そのようでも出来るでしょうか?後は、私の性格です。私は心が解放されていません。体も筋肉がこわばっているような気がします。ですから、声楽をやることが解放につながったら良いなとも思っていまが私にも出来るでしょうか?。実は、心と頭と体が硬いというのは、私の中学生位からの悩みです。ですから、作曲を専攻したにもかかわらず、曲が書けない事もコンプレックスになっています。いわゆる歌を忘れたカナリヤです。一方では、わたしは、たくさんイメージを持っていますが、それを音楽で表せないもどかしさもあります。色々なジャンルの歌い手さんを見ていると、心と体と音楽が一体なっている感じですてきです。私の手が世界でただ一つの楽器なら、私の声もそうではないでしょうか?ツィーグラーでのピアノの音に憧れますし、そのメソッドで自分の歌が出たらどんなに素晴らしいでしょう。私は心が解放されたいです。今思うと、自分の音(神様からの音)を聴く事が一番大事なのに、私は、いつまでも先に進まないだの、皆より遅れているだの、そんなことばかり気にしていたようです。私が声楽を習う良いことでしょうか?ピアノより大変かもしれませんが。そして、音大の作曲科卒の私はいずれは歌曲も作曲できたらよいと思っています。
人の心を揺り動かす深い音楽への愛があるように思います。
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 栫 香(2005.4.8)
私はツィーグラー奏法を学び始めてまだ一年もたっていませんが、こうしてツィーグラー奏法を学んでいる自分を想像することもできない状態でした。私は結婚してから長い年月ピアノを家に置くことができませんでした。もともと指があまり動く方ではなかったこともあり、ほとんどピアノが弾けなくなっていました。けれども心の中ではピアノが弾けるようになりたい。「あなたのピアノを聴いて心が安らいだ。元気が出たわ」と人に言っていただけるような本当に喜んでもらえるピアノを弾くことができたら、どんなにいいだろうか、と思っていました。ツィーグラー奏法を知ったのは二年前の春、藤原先生の公開講座の時でした。身体のどこにも無理な力を入れずに、ポーンと美しい音を弾くことができたら......。そのようなことは生まれつき出来る才能あるピアニストにしかできないことと思っていたのに、このような奏法があったのか。今まで求めていた奏法がここにあったと思いました。初めて聴かせていただいた藤原先生の音楽は涙が出るほど温かく美しい音でした。私もツィーグラー奏法で弾けるようになりたいと強く思いました。その年の6月の演奏会では今まで聴いたことがない深いブラームスの音楽を聴かせていただき、大変感動して思いのすべてをアンケート用紙に書きました。そして私もツィーグラー奏法を教えていただけるのでしょうかとも書かせていただきました。(「個人レッスンを受けられます」と書いてあったので。)そしてその年の夏、私は交通事故に遭い、左手が動かなくなってしまいました。神経が傷ついてしまったのでした。ピアノはやっとこれからと思っていたのに、もう弾けないのだろうかと思うと眠れないときもありました。思うように指が動いてピアノを弾いている人を見ると、すごい事だと心から羨ましく思いました。秋をむかえても指は動きませんでしたが、ピアノが弾きたい一心で鍼治療に一生懸命通い始めました。そのとき心に思っていたことはもともと弾けない自分が指を動かせなくなり、ツィーグラー奏法を学ぶことはもう夢のまた夢と思い、あきらめていました。そのように思っていた時、一年前に書いた私のアンケート用紙を見て下さった高橋先生からご連絡をいただき、たいへん驚きました。
こんな自分には出来ないかもしれないけど学びたくてたまらなかったツィーグラー奏法のレッスンを一度だけ受けてみようと思いお伺いいたしました。レッスンを受講して、指は動かなくても美しい音を弾くことはできると感じて、続けてみようと思いました。今もまだ通院していますが、少しずつ指も動くようになり、今は指を動かせること、ピアノを弾かせていただけることが嬉しく、私のようなものでもツィーグラー奏法を学べることに心から感謝いたします。そして子供のころピアノの先生もいない東北の田舎で、ピアノを始めることを許してくれた両親と今まで音楽を教えて下さった先生方のおかげでツィーグラー奏法に出会えたと信じ、心から感謝致しています。
ツィーグラー奏法を学んで感じることは、以前は身体に力が入っていましたが少し力がぬけてピアノを弾くことが楽になったと思います。ツィーグラー奏法には人の心を揺り動かす深い音楽への愛があるように思います。これからは少しずつツィーグラー奏法に近づいていけますよう、一歩一歩積み重ねてまいりたいと思います。どうもありがとうございました。
サロンコンサートNO.8のお手伝いをさせて戴いて
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 生田展子 2006.8.20
高橋先生いつも大変お世話になりまして誠にありがとうございます。本日は素敵なコンサート誠に有難うございました。またコンサートのお手伝いをさせて頂きまして、有難うございました。私は感動で今日は眠れそうにありません。ツィーグラー奏法のすばらしさ、神様の道具としてお使い戴ける、何んて勿体ないありがたさ、本当に本当にありがたくて、ありがたくて、先生がこの奏法をずっと守り通して下さったこと、勿論天才的な由紀乃先生の存在。本当に神様に心から御礼を申しあげたいのです。「魂の耳で奏でるツィーグラー奏法」にめぐりあえた幸せを、ツィーグラー先生、シュタードュラー先生、高橋先生、由紀乃先生に感謝致します。本当に、本当にありがとうございます。私も皆さん(日本ベアタ・ツィーグラー協会会員)のようにレッスンに望める生活レベルになりたいと思っておりますが、身体もやっと、良くなってきましたので、何とかレッスンのお許しを頂けるよう頑張りたいと思っております。先生のお声は本当にマリア様の声で、何て世の中の人々を幸せにして下さるのでしょうか。これがツィーグラー奏法なんですね。本当に、本当にありがとうございます。これからもどうかお導き下さいませ。本当にありがとうございます。
2004年12月4日
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 片山悦子 2007.1.19
この日は私にとって生涯忘れられない日となりました。
東京のカザルスホールで藤原由紀乃ピアノ・リサイタルがあった日だからです。プログラム前半はモーツァルトのロンド、スクリャービンのソナタ9番「黒ミサ」、リストのメフィストワルツ1番、後半にショパンのプレリュード全曲、アンコールも大曲ばかり、たしか7曲位弾かれたと思います。その演奏は、どれもこれも“すごい”としか言いようのないものでした。ベーゼンドルファーのインペリアルを自由自在に弾きこなし、色とりどりの響きを引き出し、それぞれの曲の深い境地を見事に表現されていました。気品ある美しく輝いた音、しかも温かく慈愛に満ちた音は、次元が違うところからきている様に感じました。
日本人でこんなにすごいピアニストがいたのかとびっくりしました。私の頭で考えられる最高の、心で感じられる最高の演奏でした。人間わざでは、とてもああは弾けない、あの時藤原由紀乃は音楽の女神と一体になって弾いていたのだと解釈しました。同じ時代、同じ日本に生きていて、こんなにすごい演奏を聴けるなんて、何と幸せなことか、と思いました。いろいろ波風のあった2004年だったのに、演奏を聴いた後は、一年間幸せだったような心持ちになりました。
2005年1月に、あのすごい演奏をもっと度々聴きたいと思い、ツィーグラー協会に電話しました。いろいろお話している内に、あの演奏の土台となっているツィーグラー奏法を教えて頂けることになりました。中学1年頃より始めたピアノは、20代半ばで中断し、その後は専ら音楽を聴くことに徹していました。10年位前より自己流でピアノを時々練習してはいましたが、人生の後半になってこういう展開になろうとは考えてみたこともなく、余りの嬉しさに歓喜しました。最初のピアノレッスンは60分間、一音、一音を「魂の耳で聴ける」まで弾いているだけのものでした。ところが帰宅して、それまで練習していた曲を弾いてみましたら、音がやわらかく温かい音に変わっていて、自分もびっくりしましたし、家族も驚いておりました。たった一回のレッスンで、ミの音を弾いていただけなのに・・・。
それから丁度2年になります。まだまだツィーグラー・メソードの入口に立っている状態ですが、それでも回を重ねるごとに、ピアノがどんどん弾きやすくなってきていて、音もツィーグラーを学ぶ以前にくらべると、雲泥の差があります。他の人と競う音楽ではなく、本来その人が持っている本質の音を引き出すというツィーグラー奏法に出会えて、とても幸せに思っております。
2006年12月の、ツィーグラー・ザ?ルで催される「冬のサロン・コンサート」では、各々の生徒さんが真摯に、丁寧に、温かく美しい音を紡ぎだしていらっしゃいました。その内、私より先に学んでおられる方々の演奏は、音が生きていると感じました。本質の世界の音を戴けると、ああいう音になるのでしょうか。私も皆様と一緒に弾かせて戴け、幸せでした。ツィーグラー奏法の極め付きは、最後に弾いて下さった由紀乃先生のラヴェルでした。あんなに魅力的な“水の戯れ”は今まで聴いたことがないし、地上に生きている他のピアニストには絶対表現できない音楽でした。この時も、以前と同じく音楽の女神が弾いている、と思いました。ベアタ・ツィーグラー女声アンサンブルの合唱も神々しさの中に美しさ、つややかさ、懐かしさ、いやし等を感じ、聴かせて戴きとても幸せでした。すべてがとても良かったので、幸せな気持ちで2006年を締めくくることができました。
2007年になり、新たな気持ちで、無限の可能性を秘めたツィーグラー奏法を深めていきたいと思っております。いつも温かくご指導下さいます由紀乃先生、高橋先生に感謝致しております。
ツィーグラーの歌唱法は
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 中河 知子
高橋知代乃先生が、ピアノの奏法である”魂の耳で聴く”ツィーグラー奏法から、その真髄をひきだして、声楽へとつなげてくださったものです。基本的に、ツィーグラー奏法は、口伝えのもの、お手本になるものは、先生以外にないのです。私たち弟子も、人まねではなく、自分でつくっていくものとして、「こうかな?ああかな?」と手探りで、よろよろしながらも、ここまできました。先生のおっしゃるとおり、無心になって、心やからだが静かに解き放たれたとき、軽くて薄い羽のような声がでます。喉、肩、胸、お腹、そのほか、あらゆる体のどこか、それから、がんばって歌うんだ、なんていう心の気負いなどの、どこにも、ひっかからないときにだけ、ふわーっと、それは、気持ちのいい声がでるのです。たまにそんな声がでたときには、嬉しくて、もっともっと歌っていたいと思います。この気持ちのよい音楽を、私たちだけでなく、多くの方々におとどけできるのは、幸せなことです。最初は、不純な動機もありました。お手本がないから、なんとかならないかしら・・・と。でも、先生の歌がCDとして、世の中へ旅立っていくとき、それはもう、個人の欲求などではなく、この軽やかなやさしさ、静かな強さ、深さを、お伝えできることに深く感謝をしております。この歌唱法は、従来の発声法とは、ちがいます。これは、オーソドックスでありながら、とても静かな革命ではないかと、私は思っています。
高橋知代乃ソプラノ・リサイタルによせて
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 中河 知子 2005.7.9
8年ぶりのリサイタルと伺いました。おめでとうございます。
先生のお歌は、控えめな中に確たるものがあって、弟子たちに、静かではありますが、大きな勇気を示してくださったように思います。天女の衣をひるがえして、うたってください。私たち、みんなついていきます!
ベアタ・ツィーグラーコーラスに出会って
日本ベアタ・ツィーグラー協会会員 中河知子 2007.5.2
高橋知代乃先生とツィーグラー奏法に出会わせていただいてから、早や、10年になります。きっかけは、娘が知代乃先生の歌のレッスンを受けさせていただけることになり、送り迎えのために、ついていったことからでした。初日から、発声練習を聞いているだけでも、気持ちがよくて、「甘露、甘露」と何度も思ったのを覚えています。喉のかわいた蝶が葉っぱにたまったきらきらした露を飲み干して、羽のさきまでうるおったような、そんな感覚がありました。二回、三回と付き添ううちに、あまりの心地よさに、私も歌いたくなってしまった、というのが、そもそもの始まりでした。私は10数年前に甲状腺の手術をしています。場所は、喉のすぐ近くです。上手に手術をしていただいたので声帯は無事でしたが、それでも、日常会話を10分話し続ければ、その後は、声がかすれて話しづらくなるような状態でした。大きな声も出しづらく、、なにか今までにはない違和感を感じていました。話すことはなんとかなるものの、歌うために声を出すなんて、もう、ありえないと思っていました。でも、発声のあまりの気持ちよさに、発声だけでもいいですからと、私も教えていただくことになったのです。
知代乃先生は、「大丈夫よ。この奏法なら歌えます」とおっしゃいました。その言葉にささえられながら、声を出すことが、どんなに嬉しくて、楽しくて、ありがたかったか、今でも思い出すと、胸がわくわくします。
声のほうは、なかなか思うようにはいきませんでした。「わかりません。ほんとに私でもでるんでしょうか」なんて、首をかしげながらも、先生のおっしゃるように出してみると、何十回に一回くらいは、、すうっと抜けるように声がとおる時があるのです。ってことは、できるってことなんだ、と自分にいいきかせつつ、3年位たった頃、レッスンの後の声がれがなくなっているのに気づきました。もしかしたら、手術をしたことや、自分の生活環境へのいいわけと思いこみが根っこにあって、自分をかばうことが声を妨げているのかもしれないと思ったとき、私はようやく、弱虫の自分を受け入れることができました。手術したことで、昔のように力まかせの歌は歌えなくなりました。でも、おかげで、ツィーグラー奏法の柔らかく深い音から、すこしでもはずれてしまうと声が出ないので、いやでも、その芯のところをいつも意識しているようになりました。レッスンのあとは、いつも体も気持ちもかるくなります。
私にとっては、むずかしいことだらけですが、この幸せな時間をもてることを、感謝しています。この感謝の気持ちを、喜びとともに、ベアタ・ツィーグラーコーラスをとおして、皆様と分かちあえたら、と心から願っています。